ライブコーディングとヒップホップのサンプリング文化
ライブコーディングを習得する過程には、他の人のコードを流用、借用したりする慣習がある。それは、ライブコーディングのみならず、プログラマーに広くみられる慣習だ。私たちは、コードを書くことを覚える上で他の人が書いたコードをまず読むことで、あるアルゴリズムを理解するのだ。
しかし、それを用いて何かを作るとなった場合、そのオリジナリティとは何かという問題が思い浮かぶ。つまり、人のコードを借りたものによって構成された音楽にその演奏者のオリジナリティがどう存在しているのかを問うている。このことを考える際に似た音楽のあり方だと思ったのが、ヒップホップのビートである。ヒップホップのビートは他の著作物の楽曲を音源のまま使用して、それらに加工、編集を加えることで新しい楽曲を構成する。このような手法はサンプリングと呼ばれる。Schloss(2014)は『Making Beats: The Arts of Sample-Bases Hip-Hop』にて、このサンプリングの手法によって作られるオリジナリティやアーティスト間で共有されるサンプリングの倫理観について言及している。この記事では、上の文献を参照しながら、ヒップホップのサンプリングとライブコーディングの流用されるコードを比較しながら、流用されるコードが持つオリジナリティについて述べていく。
making beatsより
生産者の倫理というサンプリングに関する倫理観。
ヒップホップのプロデューサーはサンプリングという行為そのものを正当化する必要はないと感じている。なぜなら、それは音楽を作る上での基礎となっているから。しかし、サンプリングに対してプロデューサーはさまざまな価値観を持っており、それらの価値観の妥当性がここでは問題とされている。
問題とされる点:
- コミュニティの社会規範が具体的な 音楽の選択にどのように反映されるのか
- 社会の境界を作り維持す るために倫理的なシステムがどのように使われるのか
- 音楽が個 人とコミュニティの利害をどのように仲介できるのか
倫理観がどういったものか
- 暗黙的であるということ。はっきりとコミュニティー内でルールが明示されているわけではないが、「他の人がやっていることを理解(p.103)」するなかで、全体に共有されている暗黙的なルールがある。そして、そのルールは時代を超越して不変である。
- 純粋主義者にとって、倫理観はヒップホップの本質を守るための 主要なツールのひとつであり、より純粋さを求めるプロデューサー たちは、実際に自分たちのために新たなルールを作り出すことさえある(p.105)。
- 「プロデューサーのヴィタミン・Dは、「私は、できる限りヒップホップを原点に近づけようとしている......。 なぜなら、 以前はドラム・マシーンを使ったり、ブレイク・レコードを使った り、何でも気にしなかったからだ。でも、成長するためには、 自分の基準も成長しなければならない。ビタミンDが基準を引き 上げる明確な目標は、"それを......基礎に近づけること "であること に注目してほしい。ドラム・マシーンやブレイク・レコード(「コンピレーション」とも呼ばれる)を拒否するなど、ますます厳しく なる練習は、彼をヒップホップの「基礎」に近づける。この新しい ルールは、過去のヒップホップにおける暗黙の了解のようなものだ」(p.105)。
- プロデューサーを評価する基準である。
- あまり純粋主義的でない人々にとっては、ルールはほとんど それ自体のために評価される。完成品の品質を損なうことなく、より多くのルールを守れる生産者ほど、その技術は高いとみなされる(p.105)。
- 創造性はそれ自体で評価されることもあれば、同じサンプルの別の使用との関係 で、つまりパロディとして評価されることもある(p.107)。
- 制作の中に制約を設けることで、オリジナリティの境界線を狭める役割を持つ。
- 最も基本的な倫理はオリジナルであることであり、しばしば "噛みつかない"という簡単な言葉で表現される。このルールについて議論するには、プロダクション志向の会話で頻繁に出てくる4つの用語を紹 介する必 要 がある : "biting"、 "flip- ping"、 "chopping"、"looping"である。(p.107)
- 誰かの音源を用いるにしても、それをより良いものを作るために流用する必要があるという倫理観がある。
- 「DJクール・アキームは噛むことを定義している:『つまり、誰かがやったループを、ただループさせるだけで なく、より良くするために手を加えずに同じことをやらないということだ。また、他の誰かがサンプリングした曲の2つの要素を取り入 れるつもりはない。例えば、誰かがジェームス・ブラウンの 曲をサンプリングして、その上に "Substitution"(ドラム・ブレ イク)を乗せるとするだろ?そんなことはしない。僕にとっては、それは噛みつきだ。』サムソン・Sは、このルールに違反した場合の社会的影響について次のように説明する。やろうと思えばできるが、信用は得られない。みんな、『ああ、君はこんなことを噛んだんだ』って言うだろう。」(p.107)
ルールの例
- 例えば、他のプロデューサーが既に使用しているレコーディングを、部分的に変更することなくサ ンプリングすることは違反とされている(p.103)
- タブーとされる”biting”
- 他のヒップホップアーティストの素材を流用することの蔑称。
- それらのコミュニティの外の素材を流用することはルールを犯すことに入らない。
- “flip”
- 素材の改変?
- 「この用語はプロデュース・コミュニティに限定される傾向があるが 、例えば、よく使われるフレーズを皮肉に使うなど、歌詞を"反 転 "させることもできる。この考え方は、改変の創造性によって 付加価値を与えるというものだ」(p.107)。
- “chopping”
- サンプリングしたフレーズを細かく分割し、再構成することで改変すること
- “looping”
- 長いフレーズをサンプリングし、ほとんど手を加えずに繰り返すこと。
ライブコーディングにも言えること
- この倫理観が同業者を相手にしているということは、ライブコーディングでも同じことが言えそう。ライブコーディングでコードを見せるのは、ライブコーディングをライブコーディングたらしめるための演出であるが、同時に、同業者が一番そこで書かれているコードに注目している。私の場合も他の人が独特な仕方でアルゴリズムを用いる時、やはりそのコードに見入ってしまう。それは、新たなインスピレーションと、自分もその手法を真似たいという欲望を満たすためである。
ライブコーディングとの相違点
- このような倫理観は意味を持たないが、他のプロデューサーの間で自分の評判に関わることであり、倫理を守らないが故に他のプロデューサーによって避難されることがある。したがって、そこに明白な意味はないが、倫理を守る上で義務感を強制する力がある。 →このような点は、ライブコーディングにもあるのか?つまり、倫理観的なのがあって、それによって、その人の作られるものがダサいや良いと評価されるのか?